JULY 1, 2016

ビジュアルワークス 柳沢康敬 パーソナルインタビュー

できるできないは別にして、常に新しいものを作り出そうと意識しなければ意味はないと思っています

株式会社クリーチャーズに所属する各スタッフをインタビューする「パーソナルインタビュー」。第3回となる今回は、クリーチャーズ創業期からのメンバーであり、開発二部にて「ビジュアルワークス」と呼ばれる、おもに映像演出を担当する業務に就く柳沢康敬氏をフィーチャー。

いわゆる「映像ディレクター」、「映像制作」など様々な側面を持つビジュアルワークスという仕事の内実から、ゲームにおける映像演出の仕組み、さらには長年映像に携わる者ならではの独自の信念についても語ってもらった。


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映像の仕事を志したのは映画とパソコンの影響が大きかった

—まず最初に、ご自身の肩書きである「ビジュアルワークス」というお仕事の内容を教えてください。

柳沢:コンテンツにおける映像部分全般のディレクション・制作・編集を担当しています。エフェクト作成や合成なども行います。“ビジュアルワークス=映像の専門職”ととらえていただければいいと思います。

—「ビジュアルワークス」というお仕事は、ゲーム作り全体でみると、どのような役割になるのでしょうか?

柳沢: 例えば、プリビズ(PreVis)と呼ばれている作業などです。
Pre Visualizationとは、Pre=あらかじめ、Visualization=映像化する、っていう映像業界の造語ですね。実際に本格的な映像制作に入る前に、事前に映像化するということになります。

—いわば、控えている工程全体を想定した映像を作ることで、後の作業を円滑に進めるという意味があるのですか?

柳沢: そういうことになりますね。あとは、やはり“映像における演出”というのがメインになるんだと思います。ゲームそのものの企画があり、さらにはストーリーやキャラクターがいて、あるシーンをムービーにしようとなったときに初めて自分のところに発注がくるんです。
ただ、ムービーの中で使用するCG制作におけるモデリングやレンダリングを行うのは別の部署が担当していますからね。

ーゲームにおいては、映像と一口に言っても、キャラクターから背景からエフェクトや合成など、いろんな要素で構成されていると思うのですが、それらはどう対処されているのですか?

柳沢: エフェクトなども仮で作ったりするんですよ。僕のはただ雰囲気を伝えるためのものですが……。

ーつまり映像に関する多岐に渡る業務が、クリーチャーズにおける、ビジュアルワークスというお仕事になるんでしょうか?

柳沢:でも、各映像シーンの最終的なデータを作るわけじゃないんです。各部門において、その道のプロがいるわけですから。
例えば、モーションを作る人もいるし、背景を描く人もいる。キャラクターやモデリングを担当する人もいる。
だから、簡単にいえばそういった各工程の担当者たちに、 “こういう感じで作ってください”っていう指示出しをすることですね。
そういう方たちに対して、より作品のコンセプトや世界観が表現してもらえるよう、言葉でどうこう説明するより見せちゃった方が早いかなとのエフェクト作りだったりするわけです。ただ、実写映画や、アニメの絵コンテ作りと異なるのは、それらがゼロベースではないってことですね。ゲームの場合は、背景作りが先行しているし、キャラクターもすでに存在しているので。さすがに勝手にオリジナルのピカチュウとかは作れませんから。

ーなるほど。ちなみに、最初から映像に関わるお仕事を志していたのでしょうか?

柳沢:子供の頃から映画や映像作品が好きでした。学生時代からは、はっきりと映像に携わる仕事を志していました。学生当時は映画を年間100本くらい観ていましたね。今はだいぶ減って、60本くらいですが。

ーそれでも60本なんですね。当時のフェイバリットムービーは?

柳沢: チェコスロバキアのアニメーション作家である、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品が好きでした。CGとはあまり関係ないですけど、現在81歳、巨匠ですよね。いわゆるシュールレアリストの作家と言われていて、そんな作品ばっかり撮ってる人なんですけど、学生時代に好きだったのは、彼の『対話の可能性』という作品です。テーブルの上に粘土で作った頭がふたつあって、それらが靴やら何かのチューブやらを、お互いに舌から差し出して食べたりするんですけど…まぁ普通に観たら、“なんじゃこりゃ?”って作品ですよ(苦笑)

ーやはりアニメーションという表現が好きだったんですか?

柳沢: う〜ん、確かにヤン・シュヴァンクマイエルの作品は、クレイアニメではあるんですが、いわゆる普通のアニメとかはほとんど観ていませんでしたね。もちろん子供時代は、ある程度は観ていたんでしょうけど、ほとんど記憶がないですね…。当時から日本のアニメや漫画にはあまり興味を持っていない子供だったんでしょうね。いわゆる(週刊少年)ジャンプ世代ですけど、ジャンプを買ったこともなかったですし(笑)

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柳沢が所持している映画のパンフレットの一部。以前は映画を見るたびに買うような時期もあった。

ーそんな趣味嗜好の子供時代から、どうやって現在のCG表現やゲームの現場へと繋がっていくんでしょうか?

柳沢: 映画は好きでしたが、映画監督になりたいとも思っていたわけでもなく、映画そのものよりも、自分で映像が作れたら面白いな、という気持ちが強かったです。ちょうどCGが始まった頃だったので、なんならCGも楽しそうだな……くらいのノリで。
一番最初にCGに触れた体験がゲームだったと思います。と言っても、ファミコンなどではなく、当時のAPPLE Ⅱにおけるパソコンゲームになるのかな。『ウィザードリィ』『ウルティマ』(※ともに1980年代に一世を風靡したコンピューターRPGの草分け的作品)といった作品を、英語の画面を見ながらダラダラとやってました(笑)。いま思うと、ゲームがそれらを繋げてくれたような気がします。だから、映画とパソコンの影響は大きいですね。

ーそこから、どのように今のお仕事やクリーチャーズという会社へとつながったのでしょうか。

柳沢:クリーチャーズに入る前に、初めて就職したのがCGを作る会社でした。当時のCG制作部門は、僕と上司のふたりだけのセクションだったんです。その上司が、後のクリーチャーズの創業者のひとりである石原恒和さん(※注1)なんですけどね。当時は狭い部屋にふたりっきりで作業をしていました。そこからクリーチャーズの前身ともいえるエイプ(注2)に移り、そのままクリーチャーズに入りました。

※注1 石原恒和
株式会社ポケモンの代表取締役社長であり、株式会社クリーチャーズの代表取締役会長。

※注2 エイプ
『MOTHER2』などの開発や、ゲームの攻略本制作を手掛けていたクリーチャーズの前身ともいえるゲーム会社。

ーそれこそ生え抜きである柳沢さんにとって、黎明期のクリーチャーズはどのような会社だったのでしょう?

柳沢:いまのクリーチャーズは自由で楽しんで仕事ができる環境ありつつも、だいぶちゃんとした会社になってきました。当時は、ただひたすら自由でした(笑)。
学園祭の前夜祭がずっと続いているような空間というのか……ただ、とても居心地はよかったですね。
確かに大変なときもあったけど、いつも楽しく目の前の仕事に取り組めてましたね。自由な時間が自由な発想に繋がり、それが面白いもの創りに繋がるっていうフィールドだったんだと思います。
そういえば、勝手に机の上でアニメーションを作ってた頃もありましたね(笑)

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ー机の上でですか? デスクトップのPCじゃなくて?

柳沢: はい(笑)。と言っても仕事ではないです。暇だったから遊んでたみたいな。

ー会社でですか?(笑)

柳沢: 会社で(笑)。ただそれを色んな人に見せていたんだけど、それがきっかけで、“映像をやらないか”って話になったのかな。でも当時は、確か『MOTHER2』(※1994年に発表された任天堂によるRPG。サウンドディレクターを担当したのは、現クリーチャーズの代表取締役である田中宏和氏)(※注3)を作っていたからエイプの頃ですね。
当時はゲームの制作中でも、シナリオ作業やプログラミング作業に時間がかかったりすると、僕らは次の作業まで手が空いて、結構時間的余裕があったんですよ。
それで、机の上に粘土を置いて、ヘンなキャラクター作っては動かして、それをコマ撮りで撮影してました。それを上司の方々や、『MOTHER2』に参加されていた当時のHAL研究所社長だった故・岩田(聡)さん(※注4)たちに見せたら、結構喜んでもらって。それが仕事ではないけれど、社会人として作った初めてのオリジナル映像になりますね。

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※注3 田中宏和
株式会社クリーチャーズの代表取締役社長。詳しい経歴等については過去の対談記事をご覧ください。
「語り継がれる名作『MOTHER』からの25年 鈴木慶一×田中宏和」
「大ヒットする作品の意外な共通点 田中宏和×DE DE MOUSE対談」

※注4 岩田聡
株式会社任天堂やHAL研究所の元代表取締役社長。

ー結果的に社内プレゼンになったということですかね?

柳沢: そうですね。それから映像の仕事が回ってくるようになりましたから(笑)

子供を対象としたコンテンツであっても、子供向けの演出はしたくないんです

ー実際にゲームやオリジナル映像作品を始め、さまざまな形態のコンテンツを担当されていますが、その中でも特に印象に残っているコンテンツや代表作は何ですか?

柳沢: いつも現在進行中の製作物にガーッとのめり込んで、過去のこと忘れちゃうタイプなんですが(笑)。ゲームとしては、『のののパズル ちゃいリアン』(注5)、『ポケパーク』(注6)シリーズ。オリジナル映像作品としては、NHK「みんなのうた」でOAされた、『恋のスベスベマンジュウガニ』(注7)、『とのさまガエル』(注8)などがありますね。

※注5 『のののパズル ちゃいリアン』
ゲームボーイアドバンス用に開発された、パネルを“の”の字に回して遊ぶ、アクションパズルゲーム。2001年に発売された「ちっちゃいエイリアン」のキャラクターが登場し、その妙に耳に残るCMソングも一部で話題に。

※注6 『ポケパーク』
ポケパークというフィールドを舞台に、ピカチュウたちが冒険を繰り広げるアクションアドベンチャーゲーム。『ポケパークWill ?ピカチュウの大冒険?』(2009年)と、その続編『ポケパーク2 ?Beyond the World?』(2011年)からなる、家庭用ゲーム機Wii(ウィー)用のゲームシリーズとなっている。

※注7 『恋のスベスベマンジュウガニ』
NHK「みんなのうた」にてOA(初回放送月 / 2003年8月?9月)された楽曲及びアニメーション作品。作曲・編曲をクリーチャーズ代表の田中宏和が担当。ボーカルを、ポケモン関連のイラストレーターとして知られる、クリーチャーズ所属のイマクニ?が担当。

※注8 『とのさまガエル』
NHK「みんなのうた」にてOA(初回放送月 / 2004年4月?5月)された楽曲及びアニメーション作品。しりあがり寿による墨絵で描かれたキャラクターをアニメーション化した。「みんなのうた」史上初の“語り”が入った楽曲であり、その声を担当したのが俳優・石坂浩二。作曲・編曲・歌を、クリーチャーズ代表の田中宏和が担当。

ーそれらの作品のなかで具体的な作業としてはどのようなことを担当されたのでしょう?

柳沢: たとえば『ポケパーク』シリーズでは、イベントシーンの演出をすべて担当しました。例えば、ピカチュウがあるスイッチを入れると、扉が開いたりとか、大砲が飛んできたりとか。そういった、ゲーム内でフィールド上をチョコマカ歩き回るなかで遭遇するシーンですね。
映像の演出というのは、実際にゼロベースから3Dソフトを駆使して、モデリングをして何かを作り上げるわけではないんです。
僕の担当するビジュアルワークという作業は、すでに完成しているキャラクター、完成しているマップや舞台装置をもとに、一連のカメラワークを演出して、さらにそのシーンに声をあててくれる声優さんに対して、どんな芝居をしてもらうのかまでを決める…といった感じですね。

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ー画面の構図を考えて、芝居を役者に指導するということは、演出という意味でも、映画監督と同じになりますね。

柳沢: 確かにそれに近いですね。ただ、僕の場合は絵コンテ(※注10)を描くのが面倒くさくて、先に自分で映像コンテを、いわゆるプリビズとしてVTRコンテ(※以下Vコン)ってやつを作っちゃうんですね。でも、3Dの場合だと、そのVコンが存在したほうが、次の行程においても断然やりやすいんです。

※注10 絵コンテ
映像作品などを制作する前に作られる全体の設計図のようなもので、イラストと文章で作品の流れや各シーンの構図などを説明するためのもの。

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実際に過去に柳沢が作成した絵コンテ

ーVコンっていうのは、絵コンテがそのまま映像になったものとしてとらえればいいですか?

柳沢: いわば動く絵コンテですね。自分で3Dのキャラクターを動かして、声も僕がひとりでアフレコしているんですよ。それこそヘリウムガスみたいなエフェクトをかけて、それぞれのキャラクターの声の違いを出してるんです。個人的にそこまで作り込んでしまったほうがラクなんです。
もちろん本番では細かい動きやエフェクトを変更していますし、ちゃんとアフレコをしてプロの声優さんが喋っています。僕の場合は、単に声を入れた方がシーン全体の尺がわかりやすくなるので、だったら自分で当て込んじゃえって感じで声も入れています。それこそ、最近購入した映像編集用ソフトもアフレコ機能が便利になったのが大きな理由ですからね。

ーだんだん味をしめてきた感じですか(笑)?

柳沢: なんかね、Vコンを作り始めた頃は、たどたどしい声当てだったのが、回数を重ねるにつれて、だんだんアフレコが楽しくなってきているのが、自分でもわかるんですよ(笑)

ーそうやって自分で楽しみを見つけながら作業をするって大切ですよね。

柳沢: そうですね。最近だとアフレコだけでなく、映像に対してラフなサウンドも入れたりしますね。

ーそれは、映像演出における全体の雰囲気をスタッフで共有する意味で?

柳沢: はい。ただ、あまりにも曲に引っ張られてしまうと元も子もないので、シーンによってあまりやらないほうがいい場合もありますけどね。

ーそのような演出における最終的な決定はどのように下されるのですか?

柳沢: ディレクターはもちろん、プロデューサーも含めて、スタッフ内の責任者全員でチェックはしますね。仮に不適切な表現をしていると判断された場合は、そこで修正及び変更がなされることになります。

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ー具体的にはどのような表現がNGになりやすいのでしょうか?

柳沢: 例えば、子供をターゲットとしたコンテンツであれば、演出上、血を流すような表現は難しいですね。その場合は、直接的に血を表現するのではなくて、あえて近くに生えている木の実が落ちて、それが潰れて地面に流れる様を、代替的な表現とするケースもあります。
あるいは、だいぶ前ですが、ふと“ピカチュウに模様を入れたらカッコいいんじゃないか…”って思いついて、キャラクターに稲妻模様のペイントとかを描き込んで、上の人に“こんなのどうですか?”って渡したときもありましたね。当然のごとく採用されませんでしたが(苦笑)
それとあくまでキャラクター研究の試みとして、ピカチュウのロードムーヴィーのようなものを作ったこともあるんですよ。実写と絡めて。

ー実写と絡めたピカチュウのロードムーヴィーですか?

柳沢;はい。ピカチュウがヒッチハイクしながら、パブで酔いつぶれたり、市場で果物を探したりするんです(笑)公に出すものとしては却下されましたけど(笑)周囲の受けは案外手応えがありました。そうしたことが積み重なって、今回関わった『名探偵ピカチュウ』のオヤジ声のピカチュウ、つまり誰も今まで出会ったことのないピカチュウ像誕生に結びついてるところはあると思います

ーそういったアイディアを考えたり、演出の組み立てはどのように行うものなんでしょうか?

柳沢: 自分の場合は、映像演出の構造を組み立てるのって、たいがい電車のなかでやるんですよ。

ーそれはどうして?

柳沢: 単純に電車に乗ってるときのほうがひらめくことが多いんです(笑)

ーロケーションがハマるんですかね?

柳沢: いまの自宅が埼玉の少し奥まったところにあるので、毎日電車に乗ってる時間が長いんですよね。
通勤や帰宅の際に、ボーッとしながらも、映像の流れとかコンテを頭のなかで組み立てるんです。NHKみんなのうた『とのさまガエル』のときは、しりあがり寿さんのイラストと、田中宏和による曲があったものの、それらを具体的に組み合わせる設計図が何もない状態でした。その素材をどうこねくり回そうかと電車のなかで考えたものを、家に着いてそのまま一晩でVコンを作りました。

ーなぜ電車内のほうがひらめきやすいのか、それについて自己分析などはできますか?

柳沢: わかんないなぁ(笑)。…でも小さい頃から電車のなかが好きで。窓の外の景色を見ながら、そこをキャラクターが走っているのを、頭のなかでイメージすることが好きでしたね。

ーすでに電車の窓自体がフレームになっているんですかね?

柳沢: みたいですね。小さい頃はそういうことをボーッと考えていましたね。ずっと景色が流れていくなかを、よくわからないキャラクターが併走して走って行く…みたいな。でもね、単に暇なんです、電車のなかって(笑)

ーそれがなにかをイメージする際には最適なのかもしれませんね。

柳沢: そうですね。ず~っと机に向かって一生懸命考えていても、浮かばないときは浮かびませんからね。

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ーちなみに、映像の演出をするにあたって柳沢さんが特別意識していることはありますか?

柳沢: そうですねぇ…いわばポケモンって子供を対象としたコンテンツではあるわけですが、いわゆる子供向けの演出っていうのは無闇にしたくないんですよ。
“子供だからそれは理解できない”とか、演出上必要がないのに、“キャラクターを大写しにして、かつ尺に余裕を持たせる”とか、最初から子供にはわからないという前提で作品を作るのは、あまり意味がないと思うんです。クリエイターのエゴで妥協したくないと言ってるわけじゃないんですよ。子供って大人が思ってる以上に想像力豊かだし、感応力が高い。
ちゃんと一人前の人間として扱ってあげるというか、子供のときは、その意図が理解してもらえなくても、仮に大人になって見返したときに、“そういうことだったのか…”ってわかってもらえるかもしれない。作り手としては、そんなことを常に心がけています。

ーこと名作と呼ばれるものは、子供時代に鑑賞していても、年齢を重ねて改めて観るたびに、新たな発見があったりしますもんね。

柳沢: 確かに。僕自身、子どもの頃に観た映画で覚えているのは、それこそザ!子供向け映画みたいなものではなく、親に連れて行かれたよくわからないSFの洋画だったりしますから。そういう映像体験のほうが、子供心に妙に印象に残っていたりするんです。細かいストーリーとかはよくわかってなくても、画面のトーンや音楽との相乗効果やなんかに幼いなりに心動かされるものがあったなと。

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ーそれでは最後に、このインタビューで、ビジュアルワークスという仕事に興味を持ったり、さらにはそれを志している方々に向けて、現場からのアドバイスを、ぜひよろしくお願いします!

柳沢:アドバイスですか。“あらゆることに興味を持ってほしい” ですかね。日常、非日常のあらゆるところに創造のネタは転がっているんです。僕自身、ゲームだけでなく、毎年の絵本大賞、動物の生態の新発見、海外のヘンテコ商品の発売などなど、雑食性の興味を発揮しています。それがどう映像と結びつくんだと言われると説明が難しいですけど(笑)
もっと直接的にインスパイアを受けそうなところでは、映画をよく見ますがロードショー、単館系問わずとにかく色んなジャンルをみます。
ですが好き嫌いで言ったら、クセのあるヨーロッパ映画なんかを偏愛してるんで、間口を広げているようで狭いのかもしれないですけどね(笑)

ークリエイターとしては映像はもちろん、あらゆるところに創造性への刺激があるとお考えなんですね。

柳沢: そうですね。そういった発想を大切にしてもらいたいです。あとは、たとえポケモンというキャラクターのコンテンツを手がけていても、それを無理矢理好きになる必要はないと考えていたりします。

ーある程度の距離感をキープする感じですか?

柳沢: そうですね。あえて対象化できる距離感を持つことで、より効果的な演出ができるとも思っていますから。客観的な視点は大切にしたいですね。その世界観にどっぷりでないからこそ、予想外の方向から新たな魅力を加えられることもあるでしょう。

ーよい意味で、コンテンツとのドライな関係性を保っていると?

柳沢: そうとも言えますね。近づき過ぎて柔軟性を失うこともありますから。作品と言うよりは商品と言う性質もあって、ある程度の制約があるのは当然だと思っています。ですが、実際に新しいモノを生み出すことに挑戦しなければ意味がないと思っています。作り手も挑戦を楽しみ、受け手もまた楽しんでくれたらそれが理想。そういった姿勢をこれからも貫いていきたいですね。


柳沢康敬(やなぎさわ やすのり)

1967年11月17日生まれ。長野県出身。現在は株式会社クリーチャーズ開発二部ビジュアルワークスに所属。前職でのCG制作業務を経て、クリーチャーズの前身となるエイプに入社。95年よりクリーチャーズに所属。趣味は、映画&海外ドラマ鑑賞、海外旅行、サッカー観戦。好きな映画はおもにスプラッター系だが、海外ドラマも含めて、その守備範囲は広い。海外旅行は定期的に年末のNYへ渡航するのを楽しみとしている。好きなサッカーチームは、イタリア・トリノをホームとするユベントスFC。また大の車好きでもあり、常にイギリスとイタリアの車を交互に乗り換えていたが、現在はスマート・ロードスター(ドイツ)がお気に入り。基本的に、小さくて車重の軽い車が好き。愛犬家でもあり、犬を連れてドライブすることも。

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